
サーシャ・アストリア・レストレンジ(ティア): 魔法使い。人間と精霊のハーフブラッドで、身体的にも精神的にも性別はない。
周りにいる者の感情を自然と読み取ってしまう特性を持つ。
リア・ミシェル・レストレンジ: 人間の魔法使い。サーシャの親。
ルシエル: 風の精霊(エレメンタルエルフ)。サーシャの親。
エアリエル・シルヴィアン・ヘイルウッド(エア):魔法使い。人間と精霊のハーフブラッドで、身体的にも精神的にも性別はない。
ヘレナ・ベアトリクス・ヘイルウッド:人間の魔法使い。エアリエルの親。
グロリエル :光の精霊(エレメンタルエルフ)。エアリエルの親。
(詳しいキャラクター設定は、キャラ設定のページにあります。)
『アストリアとチュロ』
BGM: Rui Fujishiro / Night Rain
火曜日の昼下がり、アストリアは自分の部屋のベッドに寝転がって本を読んでいた。
日中、親たちは家にいない。
リアは仕事に出ているし、ルシエルのことはどこで何をしているのかも知らない。ルシエルは夜になっても帰って来ないことが多かった。
夕方にリアが帰ってくれば楽器の特訓が始まるし、二人揃えば喧嘩を始めるので、居たら居たで辛いことも多いのだけれど。
何度となく読んだ魔法植物図鑑をめくっていると、アストリアは近くに何者かの感情の存在を感じた。
今日は誰もいないはずだけど……?
そう思って顔を上げると、部屋の入り口に碧色の瞳をした灰色の子猫が来ているのが見えた。
このところ時々アストリアの部屋に訪れてきている子猫だ。
「チュロ、おいで」
そう呼びかけると、チュロと呼ばれた子猫はアストリアに駆け寄ってきて膝に飛び乗った。
アストリアが背を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めている。
こういうときチュロの瞳の色は琥珀色に変わる。いつも不思議に思っていたが、なぜそうなるのか理由はわからなかった。

部屋の隅にある土だけが入った鉢に向かって杖を振ると、そこには芽が出て小さな植物が現れ、青い木の実を残して消えた。
その瑞々しい雫のような木の実を差し出すと、チュロはそれを美味しそうに食べた。
チュロはこうして時々やってきて、しばらく遊んでやるとどこかに帰っていった。
チュロを見送った後はいつも、どこに行くのか見ているのだけど、どういうわけか毎回いつのまにか見失っている。
この子がどこからやってきて、どこに帰るのかはわからないけれど、家でいつも留守番させられているアストリアにとってはいつだって嬉しい来客だった。
それは、リアやルシエルと過ごすよりもずっと楽しい時間だった。
この子猫を家で飼いたいとも思ったりもしたが、チュロがここに居付くことはなかったし、猫嫌いなリアがそれを許すはずもないのだった。
BGM: TAKURO / Red Sky
「……ドミソ、ドミソ、ほら、また間違えた!」
リアの手が私の頬を打つ。
「あんたは!何回言えばわかるの?風笛〈ヴィエント〉一つ覚えられないの??」
私を叱るリアの側ですーっと風が吹き、ルシエルが姿を現した。
「……リア、もう諦めたらどうだ? 風笛はティアに合っていない。」
「風笛を覚えさせろって言ったのはルシエルでしょう?」
「ティアが風の子ではないのがわかったのだから、それはもうお終いだと前にも言っただろう?」
リアは手に持った杖をルシエルの方に向けて何か言おうとしたが、すぐに杖を下ろして黙り込んだ。
二人の間に険悪な空気が流れている。
「……だったらもういいよ!勝手にして!」
リアはそう言うと杖を振って姿をくらましてしまった。
◇
このところ、リアとルシエルは喧嘩ばかりだ。
私が魔法を覚えたら喜んでくれるかと思ったのに、初めて杖先から水を噴き出させたとき、二人は喜んでなどいなかった。
むしろ――どうしてなのかわからないけれど、それ以来ルシエルはあからさまに冷たくなったような気がする。
リアに怒鳴られることよりも、二人から流れ込んでくる感情が辛かった。不満、失望、後悔……。
こんなはずじゃなかった、この子がこんなじゃなければ、この子さえいなければ……リアは私のことをそんなふうに思っているように見えた。
ルシエルからも失望が流れ込んできていたが、最近はどうでもよくなったのだろうか、不気味なほど何の感情も流れ込んで来なくなっていた。
自然と感情が流れ込んでくる特性が邪魔をして、他の子供たちと仲良くなることもできなかった。
いつかリアに「相手の気持ちを考えなさい」と言われたことがある。
まるで私にそれがわかっていないとでも言うように。
相手の感情がすべてわかってしまうことがどんなにつらいか、リアにもわかればよいのにと思った。
いっそのこと相手の考えまで読み取れてしまえば楽だったりするのだろうか。そんなこともよく考えるようになった。
両親は私を魔法学校に行かせるかどうかでたびたび言い争うようになった。
二人の間に魔法が飛び交うことこそなかったが、喧嘩の時のルシエルは精霊とも人間ともつかない、なにか怪物のような恐ろしい姿になっていた。
精霊であるルシエルがどんな姿にでもなれることはよく知っていたけれど、その頃から私はたびたび頭が割れるような痛みに襲われるようになった。
結局私はローゼンティア魔法アカデミーに通うことになった。
学園に通い出してからは両親の仲はいよいよ険悪になり、二人は別れ、私はリアに引き取られることとなった。
その学園生活もうまくはいかなかった。多くの生徒の中で過ごすということは、そこには色々な感情が渦巻き、激しくせめぎ合っている。
それらが全て流れ込んでくるとなると、私の心はいつも破裂寸前で、魔法を学ぶどころではなかった。
半分精霊で人間とは少し違う容姿をしているせいなのか、他の生徒たちに溶け込むことも難しかった。
「女なのか男なのかはっきりしろ!」と言われて服を脱がされかけたり、色んな人から〝愛の告白〟を受けたりもした。
私の身体にも心にも、性別というものがないことは、純粋な人間である多くの生徒たちにとっては奇妙であったり神秘的に映ったりしていたらしい。
彼らが性にこだわったり、誰が好きだとかそんなことを言っているのが私には理解できなかった。
私に向けられる色々な感情には心底うんざりした。そして、私はそんな自分自身を持て余していたのだった。
一度だけリアに悩みを打ち明けたことがあったが、「あんたが悪い!あんたは半精霊なんだから毅然としてればいいの。強くなりなさい!」と叱られ、それからは思いを話すことは二度となかった。
私が学園を退学してルシエルに引き取られたのは、ローゼンティア魔法アカデミーに入学してから半年後のことだった。
◇◆◇
「グロリエル、エアは?」
「……知らんよ。お前が見ていたんじゃなかったのか?」
「それが一瞬目を離した隙にいなくなってて。」
「いいかヘレナ、エアは半精霊だ。そろそろ空間移動術や変身を覚えてもおかしくはない。家の中で椅子にでもなってるかもしれないし、フクロウになって外を飛び回っているかもしれないな。
そんなことより、そろそろエアをMonokeros Order〈モノケロス・オーダー〉に入れよう。私が光魔術を教えるつもりだったが、この子は私にはどうやら手に負えないのでね」
「でも、親元から離すには早過ぎると思うんだけど……」
「そうか? むしろ早いほうがいい。エアはいずれ闇の勢力と対峙することになるだろう。私たちでできないなら、なるべく早く優秀な光魔術の授け手に委ねるべきだ。」
……
居間で両親の話し合いが続く中、小さなエアはすっと家の玄関に現れると元の姿に戻り、大きな声を上げて泣き出した。
::: Ending Song: 高井息吹 / Lullaby :::
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