フリートフェザーストーリー ここまでのあらすじ
過去の回想として物語は始まる。
オーギュは闇魔術の実験組織Shárú Ar Mort〈シャルアモール〉に捕らえられていた。
ほとんどの記憶を奪われ本名すら覚えていないオーギュは〝メリク〟と呼ばれていて、
収容棟の一室にエリオット・ヘーゼル・カレンとともに閉じ込められていた。
オーギュは闇の魔法使いゲイル・スカイラーの弟子として、
闇の魔術を始めとする魔法・魔術、武器の扱いなどの訓練を受けさせられた。
それは拷問の呪文をはじめとする苛烈な罰を伴うもので、
心の奥底にまで呪いによる苦しみ、鞭による痛みが深く刻まれていくのだった。

オーギュ・ハヴスソル(メリク): 魔法使い。人間と精霊のハーフブラッドで、身体的にも精神的にも性別はない。
魔法生物と通じる能力を持ち、風属性/天候操作の魔法に長けている。動物に変身したときの姿は不死鳥。
エリオット・ヘーゼル・カレン:Shárú Ar Mortにいたときに同室だった魔法使い。
ゲイル・スカイラー:Shárú Ar Mortの闇の魔法使いでメリク(オーギュ)の師。
アラン・グリーソン:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。エマとはきょうだい。
エマ・グリーソン:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。アランとはきょうだい。
ヴェロニカ:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。
リーシャ:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。人狼。
マギサ:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。
ナタリア:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。ハーフヴァンパイア。
アーヴィン:Shárú Ar Mortの闇の魔法使い。
(前のお話:『醒めない悪夢』)
(詳しいキャラクター設定は、キャラ設定のページにあります。)
BGM: Ryuichi Sakamoto / glacier
「ゲイル、メリクが逃げたぞ!」
大声で知らせたが、ゲイルは少し顔を上げ、そうか、と言っただけだった。
「追わないのか?」
「アラン、鏡の森で何かを追うのは愚か者のすることだ。少し泳がせておけ。捕まえたければその先の囁きの森で張っておけばよい。」
『脱出』
BGM: Mogwai / Does This Always Happen?

私は毎夜悪夢にうなされていた。
現実もそうであるように、夢の中でもこのShárú Ar Mort〈シャルアモール〉の中にいて、ゲイルや他の闇の魔法使いから鞭や拷問を受けていた。
ただ、夢の中では、師に教わっていない色々な魔法を修得し、それを使って師に抵抗していた。
あるとき私は、夢の中で上達した魔法を現実でも使えるようになっていること、夢で見たShárú Ar Mortの中の現実には行ったことがない場所も夢で見た通りであることに気がついた。
それから私は、夢で修得した色々な魔法を使ってここを抜け出そうと考えるようになっていた。
私は夢の中で分厚い魔導書を読み漁り、Shárú Ar Mort内を何度も探索して、位置関係を把握し、綿密に脱出計画を立てていった。
貯蔵庫の隅で見つけた拡張魔法がかけられたバックパックに脱出に役に立ちそうなものを色々詰め込んでいると、ローレルに呼ばれてしばらく帰って来ないはずのエリオットが戻ってきて、私に話しかけてきた。
「メリク、これを飲んでいって。きっとうまくいくよ」
そう言って琥珀色の液体が入った瓶を手渡してきた。
私はそれが調合が極めて困難な〝幸運の液体〟であることに気づいて驚いた。
これは、すべての運が飲んだ者の味方につくという、とても強力な魔法薬だ。
「どうやってこれを……。こんな貴重なものを私に……?」
エリオットは私をまっすぐ見ると黙って頷いた。
「エリオット、ありがとう……。エリオットもいっしょに逃げよう」
「いや、だめだよ。二人ではうまくいかない」
咄嗟に言ってしまったけれど、確かにエリオットの言うとおりだった。
夢の中ではエリオットといっしょに脱出しようとすると必ず失敗に終わっていた。
どういうわけかわからないけれど、連日見ている夢の中でできないことは現実でもできないようなのだ。
私は閉心術を修得したけれど、エリオットはそうではない。少しでも心を覗かれてしまえば、脱出の企ては無に帰してしまう。
「いいんだ。君だけでもここから逃げて。
さあ、行って」
エリオットに気づかれてしまったのは大きな失敗だった。
逃亡の企てを知っていたのに私を行かせたとなると後でひどい罰を受けるに違いないのだ。
だが今は、私にできることをするしかない。
エリオットが払ってくれた犠牲を無にしてはならない。
私は幸運の液体を飲み干し、脱出時に見つからないように自身にめくらまし呪文をかけた。
私がいないことに気づかれるまでの時間を稼ぐために、私自身の幻影を作り出しこの部屋の中に留めておいた。
収容棟の部屋の外ではおぞましい幽鬼たち——漆黒のフードとマントに覆われた闇の魔法生物——が私たちを監視している。
夢の通りなら、彼らは収容されている者が脱走しようとしたら抜け出す者の魂を吸い取るように命じられている。
私は幽鬼たちに向けて杖を向けると、静かに呪文を唱えた。
Expecto Patronum!〈守護霊よ来たれ!〉
夢の中では守護霊ははっきりとしたサンダーバードの姿をしていたが、実際に出してみた守護霊は朧げで形の定まらない白い光で——。
それでも、幽鬼たちは守護霊の光を浴びると仰け反り、その隙に彼らが守っている区域をかろうじてくぐり抜けることができた。
その先には色んな魔法生物たちが閉じ込められている檻があった。
酷い待遇を受けているのだろう、どの動物もやつれ果てているように見えた。
エリオットによれば、ここに閉じ込められている動物たちはアーヴィンによる人体実験のための〝素材〟なのだという。
Relashio!〈放せ!〉
檻に呪文をかけて開け放つと、ユニコーン、ペガサス、ヒッポグリフ、サンダーバード、フェアリードラゴン……様々な動物たちが中庭に飛び出していく。
私は彼ら一体一体にすべてめくらまし術をかけていった。どうかみんなうまく逃げられますように……と祈りを込めながら。
そして私は魔法生物たちとは別の方向に向かった。私も中庭を抜けようとすれば動物たちを危険に晒すことになる。
廊下を通り抜けるとき、ヴェロニカがアランとエマを連れてこちらに向かってきた。
ヴェロニカが怪訝そうな顔でこちらを見たので気づかれてしまったかと思ったが、すぐに顔を背けると三人はそのまま廊下を歩いて行ってしまった。
リーシャとすれ違うとき、私の方を見て微笑んだような気がしたが、やはり彼もそのまま廊下を通り抜けていった。
黒い大きな扉を開け、大広間に入ると、奥では降霊術師のマギサがピアノを弾いていた。
私はマギサに気づかれないように静かに大広間を抜けて階段を登った。この先は非魔法族処理場——ハーフヴァンパイアのナタリアが〝食事〟をするための場所だ。つまり、非魔法族の人間たちの血液を吸い取って殺すのである。
ここにはShárú Ar Mortの外に繋がる小さな窓がある。
私は窓に杖を向けると呪文を唱えた。
Fenestra!〈割れよ〉
窓ガラスは割れ落ちて床に飛び散り、窓はただの穴になった。
しかし、窓を割る音に気づかれたらしく、部屋の真ん中にアーヴィンが姿を現した。
BGM: Jonny Greenwood / Proven Lands
Revelio!〈現れよ〉
私が杖を振るより一瞬先にアーヴィンに目くらまし術を解かれてしまった。
アーヴィンは立て続けに呪文を放ってくる。
Stupefy!〈麻痺せよ〉
Protego!〈護れ〉
盾の呪文を唱え、飛んできた閃光を辛くも跳ね返した。
アーヴィンは私を捕まえようとしているに違いない。もし殺そうとしているなら私に勝ち目はない。
だが、それなら私に向けられるのは失神の呪文などではないはずだ。
Incarcerous!〈縛れ〉
アーヴィンの杖から放たれた縄をかわしながら、杖を振り叫んだ。
Expelliarmus!〈武器よ去れ〉
アーヴィンの杖が宙を舞い、私の手元に飛んでくる。
普通に戦えばとても勝てる見込みはない相手だ。
アーヴィンは見習いが相手だと思って油断していたのかもしれない。
Ventus!〈吹き飛べ〉
私はさらに突風を巻き起こし、アーヴィンを部屋の隅まで吹き飛ばした。
アーヴィンは壁に叩きつけられながらも鎌を投げつけてくる。
鎌は耳を掠め少し血が飛び散ったが、私はすぐに窓枠を抜けて飛び降りた。
Molliare!〈緩めよ〉
緩やかに着地し、森の中へ――。
「メリクが逃げたぞ!」
後ろから怒鳴る声が響いてくる。
まずい。これではすぐに見つかってしまう。
Nebulas!〈霧よ〉
霧で辺りを包み込み、姿を見られないようにした。
私はさらに目くらまし呪文をかけ直すと、自身の幻影を作り別の方向に向かわせた。これでどうにか追手を撒けるかもしれない。
Episkey!〈癒えよ〉
耳の傷を手当てすると、私は森の奥へと進んでいった。
BGM: Jonny Greenwood / Eat Him By His Own Light
少し森を歩いていると、自分がひどく空腹なことに気がついた。
バックパックには必要になりそうなものを詰め込んできたが、食糧で手に入ったのは貯蔵庫にあった干し肉だけだった。Shárú Ar Mortのことだ、何の動物の肉とも知れない。
私は仕方なく干し肉を齧ってみたが、それはまるで泥水を飲み込んだかのような味だった。
Accio goblet!〈ゴブレットよ、来い〉
私は咳き込んで咄嗟に杖を振り、バックパックの中からゴブレットを引き寄せた。
Aguamenti!〈水よ〉
呪文を唱えるとゴブレットは水で満たされ、それをすぐに飲み干した。
しかし、先程咳き込んだ音を聞きつけられてしまったらしく、いたぞ!こっちだ!と叫ぶ声が聞こえてきた。
私は自分の幻影を作り出して走らせ、不死鳥に姿を変えて木の上に登った。
追手は私の狙い通り幻影を追いかけていき、私を捕らえようと幻影に呪文を放っていた。
Frugari!〈拘束せよ〉
Petrificus Totalus!〈石になれ〉
Sectumsempra!〈切り裂け〉
幻影であることを見破られる前に逃げなければ。
私は翼を広げ、木の上から静かに飛び立った。
::: Ending Song : 鬼束ちひろ / シャイン :::
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